さようならムーンライトながら。夜行列車と青春18きっぷの旅の思い出を綴る

東京駅と大垣駅を結ぶ「ムーンライトながら」が廃止ーーー

2021年1月。

JR東日本とJR東海から「車両の老朽化」や「行動様式の変化」等を理由に、「ムーンライトながら」を廃止するとの発表がされました。

ムーンライトながら

僕が最後にムーンライトながらに乗ったのは、2015年の冬。

もうかれこれ5年以上も乗っていなかった。

「行動様式の変化」というのはかなり大きく、東京〜名古屋〜大阪を移動する際は新幹線がメイン。

今でも青春18きっぷを使うが、昼間に普通列車を乗り継いで移動することがほとんど。

全車指定席でチケットが取れず、運転日も少なかったので、ながらに乗りたくても乗れなかった。

初代ムーンライトながら用373系。2009年ダイヤ改正までは毎日運転だった

ムーンライトながらが廃止されたことにより、青春18きっぷで乗れる夜行列車は全廃となった。

時代の変化とは言え、とても寂しい。

せっかくなので、僕が青春18きっぷで夜行列車に乗りまくっていた頃の思い出を振り返ってみようと思います。

はじめての夜行列車は「ムーンライト九州」の展望車だった

僕がはじめて青春18きっぷを使って旅をしたのは、2001年の冬。

中学生のときだった。

当時住んでいた福岡から大阪まで青春18きっぷを使って1日かけて移動し、大阪観光を満喫。

帰りは「ムーンライト九州」に乗車。

ムーンライト九州には2006年夏季まで「展望車」が連結されていた。

青春18きっぷで展望車が乗れるというすごい時代だった。

2度か3度か大晦日に「ムーンライト九州」に乗り、年明けを展望車で迎えた。

見知らぬ方(ほぼ乗り鉄w)とどんちゃん騒ぎしたのがすごく楽しかったな(*^^*)

展望車の明かりを消し、真っ暗な車内からライトアップされた明石海峡大橋を眺めるのが定番。

すごく幻想的だった。


デジカメの写真には残ってなかったが、兄弟列車の「ムーンライト山陽(京都〜下関)」・「ムーンライト八重垣(大阪〜出雲市)も乗ったことがあった。

ムーンライト八重垣の指定席を取ったら、「14系客車」の簡易リクライニングシートでガラガラ。

自由席はシュプール仕様の深く倒れるリクライニングシート。

とにかく設備の差が激しかったな(笑)

もちろん自由席に移動して指定席代を無駄にしたのは言うまでもない(^_^;)

ムーンライトながらと臨時大垣夜行の思い出

はじめてムーンライトながらに乗ったのは、2002年の夏だったかな?

福岡から普通列車とムーンライトながらを乗り継いで東京に行き、205系の山手線に乗った記憶がある。

まだ東海道線東京口に113系が現役だった頃だ。

当時のムーンライトながらは、毎日運転の定期列車。

下りは1号車〜6号車が大垣までの運転で、7号車〜9号車までが名古屋止まり。

全車指定席が基本だったが、4号車〜9号車は小田原から自由席。

さらに名古屋からは1号車〜6号車の全車が自由席という扱いだった。

373系車内

ムーンライトながらの指定席は、当時から争奪戦。

  1. 東京〜名古屋間の指定席
  2. 東京〜小田原間の指定席(4〜6号車)
  3. 東京〜小田原間の指定席(7号車〜9号車)

の順で、発車時間直前まで窓口まで申し込みに行ったのを覚えている。

①と②は大垣まで全区間着席が保証されてたが、③だと名古屋までしか乗れない。

③の指定席が取れた場合は、途中の熱田あたりで4〜6号車のデッキに移動し、名古屋到着と同時に座席を確保してたな。

青春18きっぷパーフェクトガイドという本を読んで学んだ技だった。

③の東京〜小田原間の指定席すら取れなかった場合は、小田原まで普通列車で先回りして自由席に乗り込んだりした。

同業の方もかなり多く、コミケの期間に被ったときは超満員(^_^;)

デッキの床に座って夜を明かしたこともあった。

デジカメの写真には残ってなかったが、「臨時大垣夜行」にも一度だけ乗った覚えがある。

全車自由席の救済列車で、僕が乗ったときは113系車両だったかも。

固いボックスシートの4人席になんとか乗れたが、足を伸ばせなかったのでかなり窮屈な思いをした。

それでもまだ若かったので楽勝だったw

「臨時大垣夜行」は2003年夏から全車指定席の「ムーンライトながら91・92号」として運転。

大垣到着時間が定期の「ながら」より1時間以上早く、大阪や九州方面に早く乗り継ぐ際に便利だった。

「定期ながら」より「ながら91・92号」の方が指定席が取りづらかった記憶があるな。

「ムーンライトながら」の思い出として真っ先に思い浮かんだのが、「大垣ダッシュ」。

下り「ながら」の終着駅は大垣駅。

その先の京都・大阪・九州方面に乗り継ぐ際は列車を乗り換えないといけない。

対面ホームなら乗り換えは楽だったが、大垣から大阪方面に直通する電車は跨線橋を渡った別ホームから発車。

何が何でも大垣〜米原間を座りたい方が、我先にと跨線橋を走っていった。

僕は大垣ダッシュにチャレンジしたりしなかったり。

チャレンジする際は岐阜発車後くらいに階段に近い号車のデッキに移動し、いちばん先に降りてダッシュせずに乗り換えてた。
(危ないからねw)

どのみち米原で新快速に乗り換えないといけないので、大垣〜米原間は立つことも多かった。

大垣駅で30分待てば、続行の普通列車が「ながら」で使われいた373系だったので、特急用車両で優雅に米原まで移動したこともあったり。

急いでないときは、南草津駅前にある極楽湯でひとっ風呂浴びて大阪に向かったこともあった。

いま調べたら、極楽湯は閉店してた・・・。

時代の変化とは言え寂しいね。

あとがき

185系時代の「ムーンライトながら」は、数えるほどしか乗っていない。

指定席がさらに取りづらくなり、乗りたいときに乗れる列車じゃなくなった。

さらに、僕自身が社会人になって金銭的に余裕が出たことにより、新幹線や飛行機に乗ることが多くなった。

373系の定期「ムーンライトながら」時代がいちばん乗っていたと思う。

殺伐とした車内空間。

真夜中に静岡や浜松で長時間停車してる間に散歩するのが好きだった。

そして、あの夜行列車のなんとも言えないワクワク感はもう味わえない。

ムーンライトながら

さようなら、ムーンライトながら。

今まで大変お世話になりました。

では、今回はこの辺で。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。